人生の記録の掲載イメージ

「次はどうする」を、一緒に考えてくれた先生

はる(架空の掲載名)

現在の年代
30代
性別
男性
現在の仕事・暮らし
物流・運送の仕事

プロフィールも架空です。実際の投稿では、すべて未回答でも構いません。サンプルの性別と仕事に決まった組合せはありません。

約束を守れなかった日も、先生は話を終わらせませんでした。出院してからも、失敗をごまかさず、次にどうするかを考える。その練習が、今の仕事につながっています。

話を聞かれることから逃げていた

少年院にいたのは、十代のころです。最初は、早くここを出たいとばかり思っていました。自分がしたことを話す時間になると、周りも悪かった、運が悪かったと、責任を外へ向けていました。反省したような言葉を言えば、それで終わるとも思っていました。

担当の先生は、僕の話を途中で決めつけずに聞いてくれました。でも、言い訳をそのまま認めてくれる人でもありませんでした。「相手は、そのときどうだったと思う」。答えに詰まって黙っても、すぐに正解を教えるのではなく、僕が考える時間を待っていました。

約束を破った日の話を、終わらせなかった

一度、決めたことを守れず、またごまかそうとしたことがあります。どうせ信用されないなら話しても同じだと、投げやりになっていました。そのとき先生は、できなかったことを確かめたうえで、次に同じ場面が来たらどうするかを、僕と一緒に考えてくれました。

厳しい話もありました。それでも、できなかったことと、僕という人間の全部を、同じにしないでいてくれた気がします。うまく説明できませんが、逃げずに話してみてもいいのかもしれないと思ったのは、そのころです。

出院してからも、すぐには変われなかった

外に戻ったあとも、何もかも順調だったわけではありません。仕事で注意されると、昔のように腹を立て、辞めたくなることがありました。連絡をしないまま休もうとした朝もあります。

そのとき、先生と繰り返した「次はどうする」という話を思い出しました。立派な説明はできなくても、まず連絡する。失敗を隠さず、できることとできないことを話す。職場で話を聞いてくれる人にも助けられながら、一つずつ覚え直しました。今は物流に関わる仕事を続けています。

あの時間がなかったら、と考えることがある

あのとき本気で向き合ってくれる先生がいなかったら、また同じことを繰り返し、今ごろは刑務所にいたかもしれない。そう考えることがあります。ただ、別の人生がどうなっていたかは、誰にも分かりません。僕に言えるのは、あの時間が今の選び方に残っている、ということです。

自分が人に与えた苦しみは、今きちんと働いているから消えるものではありません。先生への感謝と、自分がしたことへの責任は、別々に持っていたいと思っています。

今の僕にできるのは、今日の約束を守り、困ったときに黙って逃げないことです。大きな言葉より、そういう一日を重ねたい。あのころ何度も話を聞いてくれた先生たちに、今ならそう伝えたいです。

この文章は架空の掲載見本です。実際の寄稿数には含みません。