人生の記録の掲載イメージ

「助けて」と言えるようになるまで、待ってくれた先生

あおい(架空の掲載名)

現在の年代
40代
性別
女性
現在の仕事・暮らし
事務の仕事

プロフィールも架空です。実際の投稿では、すべて未回答でも構いません。サンプルの性別と仕事に決まった組合せはありません。

平気なふりをしていた十代の私に、先生は急いで答えを出させませんでした。できたことを確かめ、困ったら言葉にする。今も、そのときの練習に助けられています。

平気な顔をしていればいいと思っていた

十代で少年院に入ったころ、私は人を信用するのが怖く、困っていても平気な顔をしていました。注意されると黙り、分からないことを聞かれると、分かったふりをする。それで自分を守っているつもりでした。

担当の先生は、私が何も話さない日も、話を聞く時間をつくってくれました。無理に気持ちを言わせるのではなく、その日にできたことや、できなかったことから確かめていきました。すぐに信じられたわけではありません。何度も同じようなやり取りをするうちに、少しずつ言葉が出てきました。

できないことを隠さず、練習してよかった

勉強の時間に分からないところがあっても、私は「大丈夫」と答えていました。先生は、できないことを責めるより、どこから分からなくなったかを一緒に探してくれました。一問できたら、そこはできたと確かめる。次の一問ができなくても、全部だめになったことにはしない。その繰り返しが、私には必要でした。

自分がしたことを振り返る時間は、苦しかったです。事情を分かってもらうことと、人を傷つけた責任がなくなることは違う。それを急に納得できたわけではありませんが、先生は私が考えることから逃げないように、話し合いを続けてくれました。

外に戻ってから、何度も思い出した

出院してから、最初の仕事が長く続かなかったこともあります。うまくいかないと、何も言わずに離れたくなる自分は残っていました。それでも、相談してもいい、分からないと言ってもいいと教わったことが、踏みとどまるきっかけになりました。

次の仕事を探すときは、一人で抱え込まず、相談できる人と、働き方や苦手なことを整理しました。今は事務の仕事をしています。忙しい日には余裕をなくしますが、確認が必要なときに声をかけることを、以前より大切にしています。

今の生活は、何人もの人に支えられている

あのころ本気で関わってくれた先生たちがいなかったら、その後の私はどうなっていたのだろうと考えます。外に戻ってから助けてくれた人も含めて、今の生活は自分一人でつくったものではありません。

少年院で過ごした時間をどう感じるかは、人によって違うと思います。私にとっては、失敗を隠す以外のやり方を練習した時間でした。同じ経験をした人に、私と同じように感謝したり、過去を人に話したりしてほしいという意味ではありません。

今も苦手なことはあります。それでも、分からないと伝えて、教わって、やり直せる。その小さな積み重ねを続けられていることが、私には大きいです。あのとき、すぐに答えを出せない私を待ってくれた先生に、そのことを伝えたいと思っています。

この文章は架空の掲載見本です。実際の寄稿数には含みません。